仏教経営学Academy

Month: 9月 2015

20世紀が証明したこと

『優れた人格思想』を学び、1世紀を超えて愛され繁栄し続ける
『賢者ビジネス』を作りたい人の為の、
仏教経営学Acamdemyの森川卓典です。

「金や物が豊かになっても、人間は幸福にはなれない」

これは、様々な技術革新が起こり

物質的な繁栄を手にした20世紀の結論と言われます。

 

 

このことは、実に2600年前から釈迦が指摘していた事実でもあります。

 

釈迦の言葉には

 

 「田あれば田を憂え、宅あれば宅を憂う。

 牛馬・六畜・奴婢・銭財・衣食・什物、また共に之を憂う。

 有無同じく然り」 

 


この文は、次のような意味です。

 

『 有れば有ることで苦しみ、無ければ無いことを苦しむ。

 有れば有ることで憂(うれ)え、無ければ無いことを憂(うれ)う。


 親・兄弟・妻子・田畑・財宝・金・名誉・地位など、それは一切に通ずる。

 ゆえに憂(うれ)いは、有る者も無い者も同じなのだ』

 

「有無同然(うむどうぜん)」を実証する事例は

世の中にあふれています。

 

 

少し前になりますが、アメリカのシーラーさんの話は有名です。 
 

 

独身女性のシーラーさんは、

「お金があれば幸福になれるに違いない。自分は、貧乏だから苦しいんだ」

と思い、夢を託して宝くじを買った。
 

 

そしてなんと、5,500万ドル(当時約74億円)

大当たりを射とめてしまったのです。

 

これで人生はバラ色と、天にも舞う心境でした。

 

 


ところが、当選発表のあった日から

シーラーさんの家の電話は鳴りっぱなし。

 

結婚の申し込みが殺到したのです。

 

アメリカ各地からだけでなく、オーストラリアからも

プロポーズの電話がかかってきたそうです。

 

断り切れないシーラーさんは

家の電話番号を何度も変えたそうです。
 

 

シーラーさんは独身といっても当時63歳でした。

 

そんなシーラーさんが、なぜ

その年になって急にもてるようになったのか?

 


なぜ、会ったことも、声を交わしたこともない男性から

結婚の申し込みが殺到したのか?

 

 

みな、彼女の手にした賞金が目当てでした。

ところが、他人ばかりからのではありませんでした。

 

 

親戚、友人、知人までが

 

「お金を少し貸してほしい」

「資産を倍にする方法があるよ」

 

と言いながら、ニコニコと近づいてくるのです。

 

 

だれが、本心から自分のことを考えてくれているのか

さっぱり分からなくなり、シーラーさんは人間不信に陥ってしまいました。

 


「確かに、お金には不自由しなくなったけれど、心が寂しい。

 だれも信用できなくて、苦しい」
 

と、しみじみ述懐したそうです。

 

 

貧乏な時は、お金が無いといって苦しんでいます。

では、お金が有り余るほど手に入ったら幸福になれるか?

今度は、もうけたお金が原因となって、新たな苦しみが生まれてくるのです。

 

 

釈迦が教えた「有無同然」という言葉は

金やモノは、有っても無くても、多くても少なくても

苦しみがやってくる姿は変わらないのが人間である、と教えたのでしょう。
 

 

 

「楽園」の在り処とは?

『優れた人格思想』を学び、1世紀を超えて愛され繁栄し続ける
『賢者ビジネス』を作りたい人の為の、
仏教経営学Acamdemyの森川卓典です。

 

あなたは「楽園」と聞くと
どんな場所を想像するでしょう。


美しい花々がある場所?


青々と広がる海ですか?

それとも美味しそうなごちそうが
山のように積まれた場所でしょうか?

 


人によって「楽園」のイメージは異なるでしょう。


そもそも「楽園」とは、一体なんなのでしょうか?

 


釈迦は、楽園とは

 

物に恵まれた場所でもなければ

景観が素晴らしい場所でもない

 

と教えています。

 


確かに、美しい景観や
ごちそうの山がある場所は
とても魅力的です。


しかし、どんなに素晴らしい場所でも
そこにひとりぼっちでいて
あなたは心から楽しめるでしょうか?

 


目を閉じてそんな魅力的な場所で
一緒にいたい人を思い浮かべてみてください。


「きれいな花だね」
「なんて美味しそうなごちそうだろう」

と語り合いたい人は誰でしたか?

 

 

心に浮かんだその人こそ

あなたと心から分かち合える人です。

 

そんな人が見つかった喜びを噛み締めましょう。

 

あなたは、その人がいるだけで
その先の人生を「楽園」として生きることが出来ますのです。

 

あなたのいる環境は「楽園」と言える環境でしょうか?

あなたのビジネスパートナーは、「楽園」に一緒にいたい人でしょうか?

 

あなたが「楽園」にいないのであれば

思い切って環境を変えてみるのもよいかもしれません。

 

この世で最も不幸な人間は誰か?

『優れた人格思想』を学び、1世紀を超えて愛され繁栄し続ける
『賢者ビジネス』を作りたい人の為の、
仏教経営学Acamdemyの森川卓典です。

人生には、思い通りにいかないことがあります。

 

ビジネスにて、突然のトラブルに見舞われたり

儲かると思った案件で大損をしてしまったり。

 

「欲しい!」と思い、願うものはなぜか手に入らない。 。

 

仏教では、このことを

 

"求不得苦"(ぐふとっく)

 

と言われます。

 

この言葉の意味は

 

「求めるものが得られない苦しみ」

 

ということです。

 

そんなときには、自分以外の人は

みんな幸せそうに見えるものです。

 

そして、

 
『どうして自分だけ恵まれないのか!?』

 

などと思ってしまったりもする。

 

そんな時、ふと立ち止まって

心を反転させてみてことが大切です。

 

毎日おいしく食事ができるなんて、なんと有り難いことか。

世界には貧困で今日食べる物もままならない人達も多くいるのに。

 

家族みんなが、健康で仲良く暮らせるなんて、なんと素晴らしいことか。 

 

世の中には親がなかったり、不仲で離婚する夫婦が後を絶たないといわれているのに。

 

『毎日食事ができ、 家族健康で仲が良い』

それは当たり前の事ではなくて、

実はたいへん有り難いことなのです。

 

自分は恵まれていないのではない、

ほかの誰よりも恵まれているんだ。

そして、
自分が今、当たり前と思っている生活が送れない人がいるのも、また事実です。 

「私は今、恵まれていないから不幸なんじゃない。

 恵まれて過ぎていることに気付かないのが不幸なんだ」

 

と思えることが大事なのです。

つまり、大切なのは"心"なのです。

 

『この世で最も不幸なのは 感謝の心のない人である』

 

と言われるように、"あたりまえのこと"に感謝する謙虚さを

常に忘れないようにしましょう。

 

世界一のごちそうが出来上がりました!

『優れた人格思想』を学び、1世紀を超えて愛され繁栄し続ける
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仏教経営学Acamdemyの森川卓典です。

 

「世界一の料理は何ですか?」

 

と聞かれたならば、あなたはなんと答えるでしょうか?

 

「世界一の料理」となると、多くの人から

様々な意見が出てくるでしょう。

 

 

 

“世界一おいしい、料理が食べたい!!”

昔、ある王様がこう言って、国中の料理人を召集しました。 
 

王宮で常に、食の贅を極めているので

どんな高級料理も、おいしいとは思えないのです。
 

 

 

「へたなやつばかりだ。もっと上手な料理人を探しだせ」
 

側近が困惑していると、 

「私が世界一の料理人でございます」
 
と、申しでた者がいました。 

「余の満足する料理が作れるか」
 

「おそれながら、それには、私の言うことをお守りいただかねばなりませぬ」
 

「おもしろいことを言うやつじゃ。守ってやるから作ってみよ」
 

王様も、意地になって、条件を承諾しました。

それから3日間、昼夜

世界一の料理人と称する者は

王様のそばを離れず、ジッとしているだけだったのです。 
 

 

「いつ、料理を作るのじゃ?」

「はい。そのうちに、必ずお作りいたします」
 

 

3日目にもなると、空腹でヘトヘトの王様に

粗末な野菜料理が運ばれてきました。 

 

「さあ。お約束どおり

世界一おいしいご馳走ができあがりました。


十分にお召し上がりくださいませ」
 

 

そして、むさぼるように、それをたいらげてから

王様は言ったのです。
 

「こんなおいしいものを食べたことがない!

 なにを、どんなに料理したのか!?」
 

 

料理人はそのとき、こう答えたという。
 

「料理の上手は飢えにあります。 


 空腹で召し上がるものが、一番の、ご馳走でございます

“おいしい”と感ずるのは

飢えという苦しみの軽減されてゆく過程なのです。 
 

つまり、飢えの苦のないところに

おいしいという楽しみはないわけです。

 

 

仏教では、この事も

 

苦楽一如 (くらくいちにょ)

 

と言われます。

 

苦しみや辛いことが軽減されていく過程が

楽しみであるのです。

 

 

苦しいことや辛いことを乗り越えてこそ

自分自身を大きく成長させ、本当の「楽しみ」を味合うことができるのです。

 


ビジネスや経営でも、大きな苦しみや壁を乗り越えた人が

真に成功した人と言えるのでしょう。

 

どこどこまでも満たされない「渇愛」とは?

『優れた人格思想』を学び、1世紀を超えて愛され繁栄し続ける
『賢者ビジネス』を作りたい人の為の、
仏教経営学Acamdemyの森川卓典です。

 

あなたと周りの方と良好な人間関係を築けているでしょうか?

また、人間関係について、悩みや問題を抱えているでしょうか?

 

多くの人が抱えている問題は、「人間関係」でのトラブルです。

 

仕事上、家族間、友人間など、多くの人間関係が存在します。

 

 

人間関係のトラブルは、どうして起きてしまうのか?

 

仏教からの視点で考えてみましょう。

 

 

人間関係で失敗する一つに 

仲良くなればなるほど、相手に

多くのことを求めてしまうということがあります。

 

はじめてあった人に対しては自分のプライベートなことをたのんだりはしません。


必要以上に相手の時間を電話とかで拘束したりしないでしょう。

それは、他人は他人、自分は自分という遠慮があるからです。
 

 

 

ところが、自分の欲求を相手が満たしてくれると

だんだん、相手に求める心が抑えきれなくなります。
 

 

これを仏教では、渇愛(かつあい)といわれます。

心の渇きを潤すと、二倍の度を増して渇く、
だからもっと大きな欲求を満たしてもらわないと落ち着かない。

もっと、もっと、もっと…

この「もっと」には際限がありません。

恋愛などで苦しむのも、この渇愛によるものです。

 

 

最初は、目と目が触れ合うだけで幸せな気分になれます。

メールに返信が来ただけでハッピーな気分になれます。

電話が来ただけで、世界の中心で愛を叫びたくなります。 

 

 


ところが出会いを重ねると、目と目が触れ合うだけじゃ物足りない

どうして、メールに返信してくれないのだろう

なんで、電話がつながらないのと

相手が自分の思いに答えてくれない事にイラダチ不満になるのです。

そして苦しむ。
 

 

そんな私を受け止めてくれる、寛大な人ならいいのですが

どんなに寛大であっても、人間、限界がありますから
 

「ずっと、お前の事にかまっていられるか!」

「俺だって忙しいんだ」
 

とけんかになります。

こういうことは誰にでもあるのですが

中には過度に相手に要求しすぎて、

いつもよい関係が長続きせずに苦しむ人も多いようです。 

 

どうして、過度に相手に求めすぎてしまうのか?

 

それは、自分の理想に

相手を無理やり当てはめようと しているのでしょう。
 

 

「愛してくれているのなら無条件に自分を受け入れてくれて当然だ」

 

こんな理想が強くあると、自分の家族や恋人や友人が

自分の思いに答えてくれないと

自分を本当は愛していないのだと落ち込み傷つきます。

 

 


ですが、「無条件の愛」「理想の愛」など

この世の中にあるのでしょうか?

 

 

親の子供に対する愛情でさえ、無条件ではありません。

 

言う事聞かないと腹が立つし

自分の思い通りになってくれないと面白くありません。

 

親の子を思う心でさえ、無条件ではないのです。
 

 

「ないものねだり」といいますが「無条件の愛」など人間は持ち合わせていないのです。
 

存在するものを探すのなら、いつか見つかるかもしれませんが

存在しないものを探し続けるのは悲劇です。

 

ありもしないものを「出せ!出せ!」と請求しあい

お互いを傷つけているのではないでしょうか?
 

 


理想の愛を求めるよりも、

自分勝手な私たちがそれでも

相手に施した小さな思いやりに感謝しましょう。
 

 

求まらないものを求めるよりも

今すぐできるやさしさを実行していきましょう。

 

 

理想の姿を求めるよりも

現実の相手を見てあげましょう。
 

 

そうすればあなたの周りには
あなたが気がつかなかった思いやりに満たされているはずです。

 

真っ暗な夜空を見つめていると

星のきらめきが見えてくるように

 

理想の愛という偽りの灯火を消して

人生の孤独を見つめていくと、

 

気がつかなかったやさしさや思いやりに

気がつくようになるはずです。 

 

【動画】仏教経営学とは

『優れた人格思想』を学び、1世紀を超えて愛され繁栄し続ける
『賢者ビジネス』を作りたい人の為の
仏教経営学Acamdemyの森川卓典です。

 

この動画では、

「そもそも仏教経営学とは何なのか?」

「どうして、仏教と経営が関係しているのか?」

などの疑問にお答えしていきたいと思います。

 

悪人ばかりだとケンカにならない

『優れた人格思想』を学び、1世紀を超えて愛され繁栄し続ける
『賢者ビジネス』を作りたい人の為の、
仏教経営学Acamdemyの森川卓典です。

「和するをもって尊しとなす」

 

と教えたのは、聖徳太子です。

 

ところが、この「和」というものがなかなかに難しいわけです。

 

誰だって、みんな仲良く平和にできれば一番いいと思っています。

 

 

しかし、千差万別、十人十色と言われるように

同じ考え、同じ嗜好の人は居ない訳ですし

みんながみんな気が合う人たちではありません、

 

ですから、人が集まれば必ず争いや喧嘩が起きます。

 

 

どうすれば、喧嘩や争いを減らせるのか??

 

そのヒントとなり、教訓となるお話がありますのでご紹介します。

 

 

あるところに、内輪ゲンカの絶えないA家と

平和そのもののB家とが隣接していました。

 

 

ケンカの絶えないA家の主人は

隣はどうして仲よくやっているのか不思議でたまらず

ある日、B家を訪ねて懇願しました。

 

「ご承知のとおり、私の家はケンカが絶えず困っております。

 お宅はみなさん仲よくやっておられますが、

 なにか秘訣でもあるのでしょうか?

 

 一家和楽の方法があったら、どうか教えていただきたい」

 

 

すると、B家の主人は答えました。

 

「それはそれは、別にこれといった秘訣などございません。

 ただお宅さまは、"善人さまばかりのお集まり"

 だからでありましょう。

 

 私の家は悪人ばかりがそろっていますので
 ケンカにはならないのです。

 ただそれだけのことです」

 

 

てっきり皮肉られているのだとA家の主人は激怒して、

「そんなばかな!!」と、言おうとしたとき

B家の奥で大きな音がしました。

 

 

 

家の中で、お茶碗でも割れたのです。

 

「お母さん、申し訳ありませんでした。

 私が足元を確かめずにおりましたので
大事なお茶碗をこわしてしまいました。

 

 私が悪うございました。

 お許しください」

 

お嫁さんが心から詫びていたのです。

 

 

「いやいや、おまえが悪かったのではありません。

 先ほどから始末しようしようと思いながら横着して

 

 そんなところに置いた

 私が悪かったのです。

 すまんことをいたしました」

 

お嫁さんに対して、姑さんの謝る声が聞こえてきたのです。

 

 

お嫁さんと姑さんの会話を聞いたA家の主人は

 

「なるほど、この家の人たちは

 みんな悪人ばかりだ。

 

 ケンカにならぬ理由がわかった」

 

と感心して帰ったのだそうです。

 

曹洞宗の開祖として有名な道元禅師は

「善人の家に争いごと絶えず、

 悪人の家に争いごとなし」

と教えています。

 

 

「悪人ばかりが集まると

 喧嘩や争いは起きない。

 

 善人ばかりが集まると

 喧嘩や争いが絶えない。」

 

いつの時代、いつの世界においても争いが起きる原因は

「自分が正しい」

という考えです。

 

 

これは、家族間だけでなく友人、恋人関係や

仕事上での人間関係やでも同じです。

 

 

あなたと、周りのビジネスパートナーとの人間関係が上手く行っていないとしたら

 

他人の非ばかりを見るのではなく

 

自分の行動に反省すべき点はないか?

 

と常に自身の行動を省みることを意識してみましょう。

 

「ありがとう」の語源は仏教にあり

『優れた人格思想』を学び、1世紀を超えて愛され繁栄し続ける
『賢者ビジネス』を作りたい人の為の、
仏教経営学Acamdemyの森川卓典です。

この世界で、一番美しい言葉をご存知でしょうか?

 

それは  

 「ありがとう」

です。

 

 

世界には6100からの言語がありますが それぞれ言葉は違っても

一番美しい言葉 「ありがとう」だと言われます。

 

 

言葉が違っても美しいのは、感謝する心が美しいのは世界共通だからでしょう。

 

 

この 「ありがとう」を漢字で書くと

 

「有難う」

 

となるのですが、この言葉は元々仏教の言葉であるとご存知でしょうか?

 

この 「有難う」の言葉が生まれるきっかけとなったのは

 

「盲亀浮木(もうきふぼく)の譬え」

という仏教のお話なのです。

 

  『雑阿含経』(ぞうあごんきょう)という経典に 説かれているお話ですが、少し紹介しましょう。

 

 

あるとき、釈迦は弟子の阿難に、

 

「そなたは人間に生まれたことを、

 どのように思っているか」

 

と尋ねました。   阿難は、

 

「はい、とても喜んでおります」

 

と答えました。   釈迦が、

 

「では、どのくらい喜んでおるのか」

 

と重ねて尋ねると、 阿難は答えに困ってしまいました。  

すると釈迦は、一つの譬話をされました。  

 

 

 「広大な海の底に、

 目の見えない亀がいる。

 

 その亀は100年に一度だけしか、

 海面に顔を出さない。

  

 広い広い海には、一本の流木が浮いていて、

 その木の真ん中には、小さな穴がある。

 その流木は、波の上をあちらこちらと漂っている。

 

 阿難よ、100年に一度だけ浮かびあがるこの亀が、

 この流木の穴に、なにかの拍子で

 頭を入れることがあると思うかな」

 

と釈迦は、阿難に尋ねました。 阿難は、

 

「お釈迦様、そんなことはとてもないと思います!

 とてもとても考えられません」

 

と答えました。   すると釈迦は

 

「絶対にないと言い切れるか」

 

と念をおされました。  

 

 

  「遥かな長い長い時の間には、

 頭を入れることがあるかもしれませんが、

 ないと言ってもよいくらい、難しい事だと思います」

 

  と阿難は答えました。   すると釈迦は、

 

「阿難よ。ところが、私たちが人間に生まれることは、

 その亀が、流木の穴に首を入れることが有るよりも

 難しいことなんだよ。

 

 人間に生まれるということは

 それだけ有り難いことなのだよ」

 

 

と教えられそうです。   これが「雑阿含経 」に説かれている、 「盲亀浮木(もうきふぼく)の譬」です。  

 

「有り難い」とは

「有ることが難しい」ということで

めったにないことであり、

 

「人間に生まれることは

 それほど難しいことだ」と

仏教では教えられているのです。

 

筑波大学名誉教授である、村上和雄氏は

人間に生まれてくる確率について

 

「1億円の宝くじに100万回連続して当たったのと同じ奇跡。」

 

とも述べています。

 

 

そんな語源である「有難う」という言葉なのですが

現代で 「ありがとう」という場合、この語源が意味するところを

意識して使っている人は、どのくらいいるでしょうか?

 

この言葉本来の意味をしり、心から感謝の気持ちを込めて

「ありがとう」と言っている人は少ないのではないでしょうか?  

 

 

今こうしていられる事が、誠に「有難い」

 

あなたからこうして頂ける事が、誠に「有難い」

 

 

ビジネスパートナーや仕事上での人間関係をもっとも良質に保てている人は

日頃から「ありがとう」と相手に伝えることができる人です。

 

あなたも、周りの人に対して、心をこめて

「ありがとう」

と言ってあげてください。  

 

 

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